ざわざわー!
いやぁ、久しぶりだなぁ。1年ぶりっすか?
デンマークにいるむーやんから、読みたいから更新してくれと言われて、ほな、と腰があがったぞ。
今回のざわざわ、テーマは「オカザワ家、家を買う」の巻だぞ。すごいぞ、帰国して2年、あの貧乏っちいだったオカザワが、なんと土地付き中古住宅をご購入。
でも、その前に、久々だから、オカザワ家の近況から入る。
秀彦氏
1年ほど前に、放射線取り扱い主任という国家試験をうけてめでたく当選、じゃなかった、合格!おめでとう、ぱちぱち。まぁ、受験生抱えてる家庭ってほんと大変。これの直前にあのJOC東海村の事故があったもんだから、合格ラインも厳しいだろうと、それはそれは、猛勉強だったわ。
「で、この試験受けて合格したら、偉くなれるの?」
「いや、ヒラのままや」
「じゃ、ちょっとは昇給するってわけ」
「いや、同じ」
「じゃ、タンスのこやし、ってわけ」
「ま、そういうことや」
「なんや、それ」
千世子
うちの子の通ってる小学校の保健室の先生のヘルプをしてくれとおよびがかかり、ヘルプでいいならラクだわい、と引き受けたものの、養護助教諭の資格を取るために、看護婦の免許証と、短大の成績表がいる、という。ええっ?私、自慢できるほど、怠学生だったのよ?それに成績表なんて見たことないよ?で、卒業校に依頼して送ってもらった成績表は、子どもには見せられないようなシロモノだった。これでも免許がとれるんだから、いいっちゃいいけど。
教頭先生に提出するとき、
「先生、私、子どもをしごくのちょっと手をゆるめようかな?と思ってたけど、やっぱり、びしばししごくことにしましたわ。40才にもなってもまだ成績表がついてまわるなんて、やっぱり、成績第一やわ」と宣言しました。
「私のようになってはいかーん!」
りえ
小学5年生。すくすくたてによこに成長しております。なかよしとちゃおとりぼんとコナンにおぼれています。
この前、私の弟が久しぶりに実家で一緒になったときのこと。
「子供達と一緒に風呂に入ろうと思ってたけど、ひと目みて、もうアカンと思ったわ」
そうよ、もう彼女は、少女Rなのだ。
「母さん、ラブレターもらったことある?」
「初めてキスしたのいつ?」
「父さんて無口で恥ずかしがりやだし、浮気の可能性少なくていいね」
などなど。
あなどれない小学5年だぜ。
ゆか
小学4年生。春からスポーツ少年団のバスケットに入った。秀才、努力家、優しくて、穏やかで、文武両道!クラスでも一目おかれているという評判。家庭訪問では、先生に「唯香は、パーフェクトですわ、わたし、この子がいなかったら暮らしていけませんわ」と母はほざいたぞ。でも、こういう子が、17才になって、とんでもない悪事をはたらくかもしれないのか?こういう子が、金髪にして目の上真っ白にしてコンビニの前でウンコ座りしてるかもしれないのか?
しんご
小学2年生。春から、スポーツ少年団の野球部に入った。日曜日、メガレンジャーが見られなかったとしても、時間通りに、グラウンドへ急ぐ。なんてりっぱになったんだ、我が子よ。まだ、夜のオムツはとれないにせよ。
彼が、なんとなんと、隠れ巨人ファンなのだった。父が虎キチだというのに。息子は、つい、巨人が得点すると、「よっしゃ」などと声をもらして父に責められている。あー。行く末どうなる、父子鷹。
というわけで、近況おわり。
本編いくよ。
ざわざわボンジュー2000年号
オカザワ家はこうして家を買った
夫は守山の成人病センターのとなりの研究所が勤務地であるのに、なぜ大津にいるかというと、ひとえに校区重視の家選びをしたから。カナダにいるとき、滋賀在住のHさんやら、N先生にメイルで、いろいろ教えてもらい、南郷がいいといわれて、たまたまあった借家に、とびつきひっこした。
子どもを持つ人は、まず校区優先。これは常識でしょう。なんせ日本は公立だと選べないもんねぇ。そして、学区がいいと、土地も、家も高い。南郷学区は、教師と医者が多いそうだ。確かにまわりにもごろごろいる。それと同居率が高いと思う。20年前に都市部より安く手にいれた広い家、その子供達が結婚して、子どもが生まれて、その子が入学する頃に学区を考えると、
「やっぱりここかなぁ」
「とりあえず同居して近くに家を探そう」
「建て替えて2世帯住宅にしよう」
となるようだ。
同じ町内に親世帯が住んでます、って人も多いし、お金たまらへんし、でられへん、で同居の人も多いです。開発当時は、だいたい坪単価17万前後だったそうで、バブルの時代は80万以上にあがり、今は、50万を切るかなぁ?(いずれも買値です)
滋賀って安いでしょ。これが、京都、大阪だと2,3倍じゃないかな?ひとくくりにできないけど。しかし、うちの場合、借家で入ったので、土地の値段も知る必要はなかった。家賃の10万5千円を毎月払うだけ。京都の3DKのアパートで月14万かかってたことを思うと安い。
まずは、借家で
最初に入った借家のの話から。
南郷がいいとはいえ、帰国してすぐに買えるわけもなく(お金もないし、夫はまだ半年単身でむこうに残るのだから)とりあえず、家を借りる、ということで、瀬田の駅前の不動産屋さんにはいったらしい。らしいというのは、私は長野(夫の実家)で待機、夫だけ滋賀へ行き、大阪に住む私の母を伴って探したのだ。
一軒家の貸家はいくつかあって、瀬田にもいい物件があったのだが、南郷にいって 、2階の窓から見える風景をみたときに、ここにしようと思ったと夫は後に語った。袴越山という、高さはないが緑濃い山が広がっていて、大げさだとは思うが、それはペンションからみえる景色なのだった。といっても、ある一方の窓、それも2階からしか見えないのだが。で、とんとんと8月後半に引っ越し、ここでの生活がはじまったのだった。
借家というのも気がラクでいいと思う。ここは60坪あって、家は古いが広かった。外見は他の家と比べるとボロっちいので、屋根や外装の業者がよくセールスにきたもんだ。そんな時も
「あー、うちここ借家なんでぇ」
というと相手もあっさりひきさがるし。何が起こってもいやなら出ればいいんだし、は楽チンだ。
京都から越してきた人は一様に
「ここ(南郷)にきた時、なんて安いの、なんて広いの、と思った」
と話す。
後に家の改装を頼んだ業者さんも
「いやー、さすがに滋賀の家は広いなぁ」
と感嘆していた。
友だちにも臆面もなく、
「豪邸だよん、遊びにおいで」
と誘っていた。京都や大阪の人間はみんな、
「ほんまや、豪邸や、すごい」
と言ってくれた。たぶん、お世辞でなく。
田舎に住んでると全く別の感想だろうなぁ。長野の母は
「なんか、安普請だねぇ、このうちは」
そうなのよねぇ、広いだけで、安普請なのよ。階段を上るとみしみし鳴く。
亡き父は、広い庭をいたく気にいって、芝をはってくれたり、土を入れ足して花壇をつくって花を植えてくれていた。近所の人たちもうちが入ってきたことを喜んでくれ、生協の共同購入をしたりしてなじんでいったのだった。
夫が帰国してからはさらにいろいろ投資しましたよ。
やたら派手なのに、明るくないシャンデリアを蛍光灯に替えたり、木を植えたりした。
ここにずっといてもいいな、と思っていたのだ。
家賃の値段を聞いて、
「そんなに払ってるなら家買えるのに!もったいない」
という人は少なくなかった。
「でもここ気にいってるし、いつまた動くかわからないし、10年と考えればトータルで払うお金は買うよりすくないしねぇ」
と説明したものだ。買えば数千万、借りるだけなら、家賃は10年で1千万強ですむもんね。
だがしかし、だんだん気にいらなくなってきた。家がボロなので、どんどん修理箇所がでてくるのだ。大家さんは、気のいい人で、好きにしてくれていい、と金は出す気なし。ガレージのシャッターからの雨水が車の塗装面をはがし、玄関ドアがきしんで開きにくくなってくると、
「やっぱり、家を買おう」
と夫は言い出した。
愛着のある古い家ならともかく、たまたま見つけた借家だし、あちこちつぎあてしながら暮らすより、新しい家をどんと買おう!だな?よっしゃ!
この地区は住友不動産と東急リバブルががんばって毎日のように広告をいれている、ので、とりあえずそこで出される物件をあたってみることにした。
3000万円くらいで、50坪ぐらいの中古、南郷学区。ないことはない。いろいろあった。けれど、今の家ほどの広さがない。だけど、60坪になると土地だけでそれくらいするし、中古の家付きだと、古すぎてそのままじゃ住めない。築20年以上だからねぇ。いっそもっともっと昔ならそれなりの価値もある頑丈な伝統的な日本家屋なんだろうが、20年前というと、モルタル造りの安っぽい家にごてっとした装飾の調度が主流だったようで、「なんだかなぁ」というようなものが多い。そこのテレビにはフォーリーブスやフィンガーファイブがうつっているのではないかというような。
近隣の環境にしても、今の家ほどゆったりしてるところはない。要するに、南郷の中でも、2丁目という不動産価格としては一番高い地域に借家があったので他の町内では、どうしても見劣りがするということだ。2丁目は最初に開発されていて、区画が広く、南斜面にある。70坪の家もぞろぞろあるところなのだ。
「私たちの経済状態では2丁目の物件は無理ちゃう?もういいじゃん、ここで。私、ここ気にいってるし」
といったんはあきらめ、近所の人にも
「ここにいることにしたよーん」
とせっせと花壇に花を植えたりしていた。
探し初めたころ、いろんな人に<家を買った経緯>というのを聞いていたのだが、誰しもが言うに、
「なんとなく決まった」
「これかなぁ、って感じ」
あれよあれよと話が進むらしいのだ。
「それって結婚みたいなものじゃん」
中でもおもしろかったのは、あっちゃん(長女の友人)のお母さんの話。
当時奈良に住んでいたあっちゃん家族はある冬の日、びわこバレイだかへスキーに行った。その帰り道、おしっこにいきたくなったあっちゃんたちは、たまたま通りかかった住宅展示場(浜大津にある)に入り、トイレを借りた。そこで、話をしたのがきっかけで、とんとん拍子に滋賀県民となったそうだ。
「家はな、奥さん、縁ていうのがあるんやわ。ピンとこない物件には手をだしたらあかんよ。必ず、これや、というのにあたるんやから」
うーむ、まさに結婚、である。
一時ははりきって探していたのだが、そのうち熱もさめ、不動産会社も何もいってこなくなったため、新聞広告や、ポストの投げ込みチラシだけを一応チェックするだけの毎日となった。だって、10件もみてあるけば、広告みただけでわかるようになるんだもん。間取りで狭すぎるとパス、築年数で、古すぎるとパス、新しめでも4000万こえればパス。
古家つきで買って、リフォームする手もあったが、何百万もかけてリフォームする気はない。年寄りの顔にいくら化粧しても若返るわけでなし。かといって、新築する気はもっとない。気がないというより金がない。土地だけで、3千万、新築したら、坪単価50万が最低で、2千万は超えるでしょ。それに、外溝工事だ、電気器具だ、カーテンだ、というと、総額6千万にもなるのはざららしい。
となりの山田さんによれば、
「今ここで新築する人は、親に援助してもらうか、家を売ってまとまったお金があるか、高額所得者しかいない」という。
これだけ金利が安くても、2500万借りて、30年ローンで月々の支払いは10万なのだよ?ということは、3500万の頭金がなければならない。こういう数字も家探しをして初めて覚えることだ。みんなどうやって工面しているんだ?目に鮮やかなる豪邸を見ると
「どんな悪いことをしたら、こんな豪邸が買えるんだ?あん?」
などと悪態もつくようになっている。
とにかく、気長にいい中古物件をさがそう。とはいえ、私は、あきらめていた。
「長野(夫の実家)に最終的に帰るんだから、そこにはおじいちゃんが持ってる土地があるんだから、そこに建てればいいじゃん。第一、関西で家なんか買ったら、お父さん怒るんじゃない?嫁が関西人だから、嫁が強くて、関西に家かっちまっただ、とか思われたら困るじゃない?」
そういうお家事情もあって、私はそんなに乗り気にもなれなかった。それなのにある日、と続く。
ある日の新聞広告に、千町というとなりの町(校区内)の新築分譲の広告があった。なんと3000万でカースペース2台ぶんある一戸建てが買えるらしい。新たに開発した地区らしく、週末に現地を見学できるという。夫に言うと、ふーん、と素っ気なかったが、じゃ、見学会に行ってみようか、ということになった。
当日は、現地に移動動物園がきていて、売るぞー、という気合いが感じられた。区画のある更地とモデルハウスが一戸あるだけの広々した土地を見ると、
「おー、なかなかいいんでないかい?」
しかしこれに家がたったら、どうなんだろう?案内人の不動産会社の人がひとりついて説明を受ける。いいことしか言わないから参考にはならない。
販売戸数は30戸足らず、1区画は40坪に満たないところがほとんど。、家はそこそこのスペースがあるので、カースペース2台とってぎちぎちにたつんだろうなぁ。でも新築の魅力は捨てがたい。狭くてもいいんではないか?という気持ちもわいてくる。広くてぼろいと狭くて新しいを比べると、新しいは魅力だ。私らは日本人だからな。とりあえず、それぞれの区画を検討して歩く。ここで買うとしたらここかなぁ、という用地を選んで、その日はおわった。
担当者は、私たちと似たような年代の男性で、翌日、岡沢邸、などとすでに明記された設計見取り図やローンに関する計画書を作成して来宅してくれた。速いな。
うちは、子ども3人で夫が一部屋分の本棚やら、机やらを持っているので、今のままの間取りでは、寝るところがないほどに狭いので、2階部分の増築をしなければならない。そうすると、なんと6畳を8畳にするだけで200万以上値上がりし、さらにもう一部屋増やすなんて言うと、価格は4000万をゆうに超えることが判明した。しかも、月々の支払い6万円台なんて広告に書いてあるが、それは、ボーナス時の支払いが40万だの50万だので、それは読めないほど小さく書いてあるのだった。
うまい話なんてないものだ。とはいえ、新築の話も捨てがたく、担当者さんには、別の用地でのプランをお願いして、検討の余地を残したのだった。
だったのに、それきり、担当者さんは、うんともすんとも言ってこず、この話は立ち消えになったのだ。こっちが断った覚えもないのに、次の依頼を引き受けておいて、それっきり、なんてことがあるものだろうか?幽霊会社だったのか?とも思ったが、それ以後もここは積極的な宣伝販売を続けているし、家を建てて住んでいる人もいるようなので、結局は、うちに見込みなし、と見限られたんだろう。うちとしても、こっちからおいかけるほど魅力あるわけでなし、なのでほっておいた。
あとで、ここの土地事情を知ってる人に話したら、あそこは田んぼだったところだし、川のへりだし、坂だし、土地の強度の面で心配だなぁ、と言われたのだった。買わなくてよかった。
話は変わるが、スイートテンというのはコマーシャルだけのでっち上げだと思っていたら、ほんまにする人がいるのでした。
小学校の広報委員というのをいっしょにやっていたMさんの話。
Mさんは、だんなさんのご両親と同居で、なかなか大変そうな同居生活。彼女はすべての家事を一手にひきうけ、男児二人を育て、気苦労の多い生活をすこしでも楽しく、と幼児教室を主宰したり、いろんな役を積極的にひきうけ多忙な毎日をすごしている。元気に明るく愚痴をこぼすMさんの話をきくと、他の人たちは、
「Mさんに比べたら私はなんてお気楽なんだろう」
と気の毒がるのだった。
Mさん夫婦の10年目の結婚記念日。家族みんなでお値段のはるレストランへ食事をしに行き、だんなさんは、花束とスイートテンダイアモンドをくれたらしい。
「いつもきみには苦労をかけてすまない」
というやさしい言葉とともに!
ほよよー、そういう人がいるのねぇ。とみんなで感動していたら、
「それが、自分の小遣いでせっせとためてくれたんで買ってくれたらいいんやけどな、あとで見たら、ローンくんではんねんで。これから払うねんで」
とちょっとした(?)オチがついていた。まぁ、それにしても、スイートテンだ。愛されてるねぇ。
うちもそろそろスイートテンではないか?と勘定したら、なんともう10年は超え、11年めに入っていたのだった。しかも記念すべき10年目は、彼はカナダでハナの独身を謳歌していたのだった!(ほんまに楽しかった、あの頃、と時々言うのだ)ほよよー。
10年目を記念できなかったので、11年目はお食事にぐらい行こうと、ちょうど、パルコのイタリア料理レストランの割引券があったので、子ども達は、それぞれに友達と遊んでもらい、二人ででかけることにした。ついでにセーヌ不動産という地元の不動産やさんにも寄ってみることにしていた。1999年11月13日。その日の折り込みチラシにふだんはみかけない会社の広告が入っていた。三井のリハウス 南郷2丁目3600万 平成6年築 これが運命の日だったわけだ。
「ねぇねぇ、これ。新しいよ、広いよ。高いけどさ、どこか聞いてみようか」
電話で問い合わせると、場所を教えてくれた。中をみたいなら、うちへ(リハウスへ)連絡してください、と念をおされ、はい、はいと答えた。
まずは広告の家を見ていこう、と探してみると、いつも買い物へ行く道に面していた。きれい、なのだ。おしゃれ、なのだ。なかなかいいじゃん、と言いながら、セーヌ不動産へ行った。近所の人(2人)はここで中古物件を探して家を買っており、
「セーヌさんは南郷に強いからいろいろ持ってるかもしれへんよ」
ということばに魅力があった。今朝の物件も考えるが
「ほかにいいのもあるかもよ。」
南郷で探してるんですけど、と言うと、はいはい、と白い紙を束ねたものをチェックしている。その資料は、不動産業者がみんな配布してもらってるようなもので、新聞広告でみかけたこともあるような物件もある。これといってめぼしいものもなく、結局は
「実は今朝入ってた広告の物件を外から見たんですけど」
と切り出す。するとセ−ヌのおじさんは、ほうほう、と新聞広告を集めたファイルを取り出してさがす。(新聞広告みて商売してるのね)
要するにこのセーヌ不動産というのは、自ら広告をうって商売するとか、家を建て売りするとかはしない、仲介だけする、町の不動産やさんなのだった。聞くと、広告を出すのが、売り主側で、買う方は、どこの不動産屋を通してもよい、という仕組みになってるんだそうだ。ただし、仲介料というのは、売り主も買い主もそれぞれが払うんだから、窓口が一本化してればもうけは2倍ということになる。だから、三井はこっちに連絡してくれと念をおしたのだった。
三井の人には悪いなぁ、と思いながら、結局、その物件を紹介してもらうことになった。売り主側とは別の仲介をたてるほうが有利な面もあるんではなかろうか、というこっちの思惑もあったし。それは、結果的によかったと思う。安心感があった。
11年目の結婚記念日を、パルコのスパゲティ屋で祝い、約束の3時に家を見に行った。そこの家の人(売り主さん)の案内で、15分足らずで見終わり(だってまだ人が住んでるところで、そんなに長居できないじゃない?)検討してまた返事しますと帰宅した。
さらっとみただけで、
「今まで見たどの家より良かった」
のだ。買ってはイケナイ条件がないことには、買いますの流れが強い。
買ってはいけない条件て?
一つの条件(60坪はほしいな)を除いて、あとみんなクリアしていた。クリアどころか、かなり好条件であるように思えた。築浅い、庭が広くてうつくしい、ガレージは2台分で屋根がある、日当たり良好、布団干しに最適のベランダ、バス停近し、スーパー1分、図書館2分。小学校2分。
結婚記念日にこういう物件にあたったということに何か運命を感じないでもないふたりだった。電撃結婚か!
何千万もの買い物を15分で決めていいものか?と今でも思うが、買うことに決めてしまいました。これは結婚で言うと、知り合って1ヶ月で入籍、だろう。人に言うと、そんなことしたらあかん、という人もいた。当然だが。
あとできくと、誰が住んでいようが、何回も見に行って、棚をあけ、とびらや細部を入念にチェックし、市役所にいってそこらへんの土地開発や道路計画なんかをチェックし、家の土台を調べ、などと、ひぇーと思うようなことをするもんであるらしかった。何冊か家購入に関する書物も読んだほうがいいそうだ。ほんとにみんなしてるのかな?
あとから判明した事実
引っ越して半年経たない頃に、この地域の開発当時からいるAさんと話をした。Aさんは、土地を決めるのに、古い地図を取り寄せて、墓地と池だったところをはずし、それ以外の候補地の土壌分析を大学に依頼し、今の土地を決定したという。
うちが買った敷地は、以前、浄化槽とその施設があったところの8区画のうちの一つで、うちはぎりぎりセーフだが、裏の家はモロ汚水槽の上に建っていることになるらしい。Aさんは
「大丈夫かなぁ、臭いがでるんちゃうかなぁ」
と言った。
「え?じゃぁ、ここもだめですか?臭い出る?地盤もよくないのかしら?」
ときいたら、
「いや、オカザワさんとこは臭いは大丈夫やと思う。地盤はここは固いから大丈夫や」
たまたま大丈夫だったからいいようなものの、やはり無知はこわい。
「だからワシは、どこが池だったか、墓だったか知ってるけど、その家に住んでる人にはよー言わんよ」
とうれしそうに笑っておりました。こわー。
「だって、わしらが買うんだぜ?何でお許しがいるんや?」
という夫に、長野の(夫の)親に、買うってことを報告しなければいけない、と私は主張し、夫は、めんどくさそうに電話をした。なんでそっち(関西で)で家を買う必要があるんだ、と怒られるんじゃないかとびくびく。
するとあっさり、
「これだけ金利が安いんだから借りなきゃ損だよな」
「子ども3人もいれば一人くらい関西に残るだろうしな」
「こっちの子たちも(姉の子)関西の大学にでもいけばそこから通えるかもしれないしね」
円満に報告がすんだ。
入院中の私の父は、
「そうか、よかったなぁ、退院したら見にいきたいなぁ」」
と喜んでくれた。引っ越す前に亡くなってしまい、中を見ることはかなわなかったが、調子がいい時に外泊し、その時に1回だけ外観を子ども達と見にいったのだった。具合が悪くなった時に、お世話になったM先生が、
「調子よくなったら外出して、僕が車で娘さんの家に連れていってあげますよ」
と励ましてくれ、父はとても勇気づけられたことがあった。ありがたかったなぁ。
大まかに気に入ったのなら、細部が気に入らないからと断ることはないだろうし、住まいに関しては、私たちはずっと、そこにあるものに自分たちの暮らしをあわせてきたのだから、それほど注文もないのだった。だからいいのだ、と11月に契約。しかし引き渡しは3月末。これは、一般的ではないらしい。
いろいろアドバイスをもらい、のちには改装関係の紹介、監理もお願いした知り合いの建築士のKさんには
「契約から引き渡しまでそんなに期間があいてるのは危険や。もっとはやく引き渡してもらったほうがいい」
とずいぶん心配してもらった。
Kさんの経験した事例に、二重契約をされてトラブルになった、とか、待機してる期間に家の痛みがひどくなった、とかがあったらしい。相手がどんな人かわからないんだからはやく所有権を移したほうがいい、ということらしかった。
そうはいっても、同じ町内に住んでる人だし、相手方の娘さんは、同じ小学校に通ってるし、新しい家ができるまで、3学期が終わるまで、ここにいたい、という相手の希望を押しのけて、とにかく引き渡せ、ということもできないでしょう?4ヶ月待ったのでした。 でも、不安でね、何人かには
「Nさん(売り主さん)って知ってます?どんな人?信用できる人?」
ときいてまわったのだった。おおむね評判はよかった。
「自治会の役もしてたし、きちっと仕事してはったし、大丈夫とちがうか?」
しかし不安な点もあった。見学に行ったときも契約を交わしたときも、向こうのだんなさんは同席せず、奥さんしかこなかったのだ。セーヌ不動産のおじさんさえ、
「ご主人に内緒ってことはないでしょうねぇ」
とかなり本気で尋ねていたそうだ。奥さんが勝手に売り飛ばすということもない事例ではないそうだ。Kさんにも、
「その人がいい人であっても、不動産というのはトラブルが生じる可能性がある」
と言われたのも不安。
15分しか見んと買った家ってどんなんや?と思われるでしょう。4LDKでミサワホームの木造プレハブだ。遮音性が低いのが欠点らしい。しゃべってる声は90%外にもれている、と思って気をつけなければならないほどだ(ちょっと大げさか)。そのかわり耐震性がすぐれている。かわりってこともないか。
家にも木造なんたら、だの、コンクリートなんたらだの工法とか材質でグレードがあって、それにより税金やら保険料がかわってくるのだ。いい家、広い家はいろんな面でコストが高い、ということだ。だから、土地はやたらあっても、一般人の家の広さは上限があるんだということがわかった。それまでは、不必要に広いとそうじがたいへんだからだろう、ぐらいに思っていたのだ。そういう意味ではこの地域は豪邸といってもしれている。70坪あってもその分庭が広いだけ、だから。だけ、が重要ですけどね。
この家を建てた売り主さんは、
「初めて建てた家だからお金もなかったし、いろんなものが、一番低いグレードのものを使ってるんですよ」
と謙遜していたが、何を何を、注文住宅というのは一番低くてこんなに高級なんだよねぇ。
しかし、今回の経験で、家を新築するとなると、どんなに大変かを想像した。ドアノブから、台所の棚、風呂のタオルかけ、タイルの色、全て自分で決定しなくてはならないのだ。うちの場合、中古だから、ほとんどそういうことはなかったが、二部屋分の壁紙を張り替えた。この2種類の壁紙を選ぶだけで、うんざりだった。何百種類のサンプルから選んでくれといわれたのだ。
「んなもん、そのためにプロがいるんだから、適当に決めてよ、わたしゃ素人だしセンスもないしわかんないよ」
ではすまないのだ。そのためのインテリアコーディネーターを雇えば高くつく。趣味がちがうと、気にいらない出来になる。
友人は、
「あー私そういうの大好き。設計からかかわって細部まで思い通りの家を造りたい!」
とうっとりしていたが、わたしはいやだね。服のコーディネートさえできずにだっさいかっこしてる私が、すてきな家をトータルコーディネートなどできるわけがないもん。夫もまた同様。彼が凝るのは本とCDの並べ方だけである。
以下は同時期に家を建てた友人からのメール(原文のまま)
<建売では当たり前にある無駄なスペースの有効活用、例えば階段下の収納だとか、ちょっとしたスペースの小さな棚だとか、そういった類のものを造るのに大変な労力と費用がかかり、それ以外でも「これ位ちょちょってやってくれてもいいじゃん。」と思うことまで、懇切丁寧に説明して、ものすごい費用を払って、してもらった段には、「建売っていいなあ、面倒くさくなくって、しかもこれだけの装備がついててこの値段、いいよねぇ。」って愚痴ってました。>
ほらねぇ、彼女は家を建てる時のあれこれのストレスでかなり体調を悪くしたらしい。
建築士のKさんも、初めて家を買う時は中古で買った方がいいと言う。
「新築はギャンブルに近いものがありますからね、大まかなことはわかっても細部はできあがってみないとわからない。これはちがう、って思うことのほうが多いですよ。できあがったものを見て買うか、中古を買ったほうがいいと僕はすすめますね」
ちなみに、彼が結婚した時、妻のために、自分が設計した家を新築しています。狭い土地に広々したゆとりを感じるいい家です。
建築に関する表裏を知り尽くした男、SHINICHI.KOZU
ひそかに、大丈夫かなぁ、ほんとに買えたのかなぁ、と思いながら、4ヶ月を待ち、やっと引き渡し。今度はむこうのご主人も同席。銀行で契約引き渡しが行われたのですが、うちの夫は、ポロシャツに綿パンという通勤服で行ったんです。ほかの人はみんなスーツ姿だったそう。建築士Kさんも普段は万年青年のかっこなのにきょうは黒のスーツなんか着ている。
「どうしたんですか。Kさんまでスーツ」
「いや、これはビジネスですからねぇ、スーツでしょう」
だって。わたしたちは世間知らず。
やっと引き渡しが済み、かぎをもらって家に行くと、売り主の奥さんが、大型ゴミをだしていた。
「これ、捨てるんですか?もらっていいですか?」
とホースリールとエレクトーンのイスをいただいた。太っ腹なのか、あたらしもの好きなのか、この家のエアコン、照明、カーテン、みーんなそのまま置いていったのだ。これで100万以上浮いたはずだ。
さぁ、これでとりかかるぞぉ、改装。
きれいだ、新しいとかいってもライフスタイルはちがう、家族構成もちがうので、けっこう手をいれることになった。
まず、やらなければならないのは、ピアノをおくための床の補強と板張り。荷物をいれるまえに、台所とリビングの壁紙張り替え。2階の一部屋は前の人が作った大きなクローゼットをのけて広くしなければ寝るところがない。前の人は全員ベッドだったが、私たちは布団で寝るために一部屋は畳をいれてもらう。庭に水道と洗い場を設置してもらう。春に鳩が巣をつくりかけて困った雨戸の上部にカバーをしてもらう。はずしたクローゼットの扉が捨てるにはもったいないので、Kさんの助言により、夫の書斎に壁いっぱいの扉つき本棚をつくってもらった。
Kさんの紹介で、京都の大工さんやら左官屋さんやら、工務店さんがやってくれたのだが、改装は人の手でやることなので、腕のいい悪いが重要だそうだ。キッチンの大改造をする場合は輸入住宅関連の工務店を紹介するつもりだった、と言ってたから、センスと部品の豊富さも大事だってことか。いいなぁ、キッチンの大改造。アイランド型で、ぐるりとまわりは、タイルを貼ったカウンター型の収納庫で、上部にもおしゃれなとびらのついた棚があって。明るい日射しはカフェカーテンで、てかぁ?機能第一のコスト安改装に台所は入らなかったわ。予算の関係で、勝手口の屋根兼目隠しもあきらめた。なにから何までいっぺんにはできない。一方で、こういう時にやっておかなければ、ずっとできずに終わる、とも。人生は取捨選択の日々であります
ともあれ、うちは、情報のなさ、知識のなさを知り合いのプロに一任できたことでずいぶんラッキーだった。一家にひとり、建築士、やなぁ。プロフェッショナルというのはかっこいい。
サカイやで絶対サカイが安いで、と弟にいわれ、そんなもんかな、と見積もりを依頼する。同じ町内の引っ越しなので、大型家具だけお願いすればいいのだが、それでも10万をくだることはない。どこもそうだが、引っ越しの見積もりは、営業専門の人がやってくる。契約とるぞぉ、と意気込みがすごいが、サカイのそれは超すごい。たたみこまれるように今決めろ、って感じだったが、そこは引っ越し貧乏のオカザワ、きちんとおさえて、別会社にもたのむ。結局、サカイの出した超安値の見積もりは営業さんの勇み足だったことが判明し、いつものクロネコヤマトの引っ越しとなりました。
全てのダンボール箱、小物、オーディオ関係は自分で運ぶ、という夫。決まってからは、休みの日も普通の日もダンボールを作って運んだ。100箱ほどか。荷物入れは夜になることが多く、
「夜逃げのようやな」
と言いながら車でほそぼそ運んだ。毎度、
「今度引っ越しするときはらくらくパックがいいいいよね」
という私も相変わらずだ。一生、こうやって
「今度はらくらくパックにしようね」
と夜逃げ引っ越しをするんだろう。それもまた幸せか。
借家から新しい買った家にうつるのに何が一番大変って旧居のそうじが一番大変だった。敷金を全額返して頂きたく、とにかくみがきたてなければ!と一人で新居のそうじと平行しながら旧居の掃除にいそしんだ。古い家のそうじというものはこれで終わりということがないだけにしんどい。5月2日の明け渡しまでの日々、毎日そうじに通った。借りた時の数倍きれいになりましてよ。おかげさまで、敷金は全額戻りましたわ。
引っ越しの日はゴールデンウイークの初日だった。。広いと思ってた家に、どんどん家具が運ばれ、うんざり。ついそばにいた引っ越しのお兄さんに
「うちって荷物多すぎますよね。生きていくのにこんなに荷物いるなんておかしいですよね」
と同意を求めてしまった。お兄さんは、
「僕はトランク1個ぶんしかないです」
と平然としていた。引っ越し業にたずさわると、俺は荷物はもたへんぞぉ、という気持ちになるだろう。わかるわぁ。
細長い敷地に細長く建っている家のため、間取りに無理があり幅も狭い。2階の夫の書斎には大きな家具だと入り口から入らない。つり上げたり、水平に窓から窓へ運んだり、相当苦労して入れてもらった。今から次の引っ越しを思い、ため息がでる。ここが終の棲家じゃないのにさぁ..。
引っ越しは、まるごとリセット、という感じなので好きだったが、こうしてあまりにも荷物が増えてくると、もういいわ、という気になってきた。もう落ち着きたいなぁ、と今回の引っ越しで思う。なんせ夫は「捨てない!」人なのだ。これからまだまだ増え続けるぞ、本、書類、漫画、CD、レコード、子どものノート、着ない服。使わないものたち。
置くところがあるかぎり、置けばいいのだ、と夫は言う。
引っ越してから数日間、子どもはおばあちゃんちに行ってもらい、夫婦は荷物ほどきに専念。5日間で荷ほどき完了。2000年のゴールデンウイークは、片付け作業で終わった。足の踏み場がないほどの荷物山積みだった家が収納を終えるとなんともすっきり広々。収納というのはすごいものだ。結局、息子の部屋、というのがとれなかったが、まだまだ赤ちゃんの息子ゆえ、父さんと母さんと一緒にねる、ということで部屋わりも一件落着。
5月5日には、うちの3人の子たちを淡路島に連れていってくれていた弟家族と母を呼び、ささやかにひっこし祝いを催しました。
とりあえず終わった終わった。オカザワ家が家を買ったのは成功だったのでしょうか?早計だったのでしょうか?
それはこんどの移動の時に損得計算するまでわかりません。
いつになるやら。そのときにはまたお知らせしましょう。
終の棲家ではないにしろ、家を持ってそこに住むようになると、どうも意識がちがう。
いやだったらでればいいや、という考えは持てない。ここにいなけりゃならないから、住み易くしなくっちゃ、と思う。近所の人とも、この先ずっと関わるのだと思うと、いい関係を作っておかなきゃね、とか喧嘩しないようにしないとね、と思う。回覧板さえ、早くまわさなくちゃ、と思う。地域に根ざす、というクサイ言葉に、そうそう、そうだよ、遠くの友人よりお隣さんだよねぇ、と相づちさえうっている。
今までだって、きちんとくらしてきたつもりだったけど、尚一層きちんと暮らそう、と思っている。これが持ち家効果なのか。
幸せの垂れ流し
長い(かどうかはまだわからないけど)人生のうちで、自分の家を持てるなんて、なんて幸せなことだろう。
今回これを書くにあたっては、ちっとも筆がすすまなかった。書き始めてから3ヶ月もかかってしまった。作文力がないせいもあるだろうが、これは
「単に自慢しいの幸せのたれながしと思われるだけではないだろうか?」
という懸念が常にアタマにあったからだと思う。
「よそ様がどんな豪邸を手にいれようと、所詮私の家じゃなし、ふん!」と思われるのもいやだしなぁ、なんて思ったからだった。オカザワさんにしちゃ気弱だこと。
結婚だけが幸せでなし、マイホームをもったばかりにこわれるうちだってある。そういう話には事欠かないけれど、やっぱり、
「ここが私たちの家だわね」
は家族を幸福にするもんだ。時を同じくして、友人たちもつぎつぎ家を建てている。四捨五入で40才、というのはそういう年齢なのだろう。ローンをくむには40才初めがリミットではなかろうか?あとは親子2代ローンしかないし。
家を買う、建てるの本はたくさん世にでまわっているだろうが、オカザワ家の場合もまた参考になる部分があろうかと思い、また、記念写真的な記録としてつづってみました。みんな、いい家買ってね。(建ててね)
書き終わったら、秋になっていた。ざわざわぁ!
校区を選んでこの地に住んだはずなのに、ここの中学校が荒れている、という話がぽつぽつ聞こえるようになってきた。
開校以来優良校だった中学校なのに、まさか?うそ!
喫煙、バイク暴走、コンビニうんこすわり族、エンコー?校舎破壊?入学式に警察官?保健室は鍵をかけられて入れないとか。
優良校の安心感から、先生も若い世代が多いらしい。事態の解決には時間がかかりそうである。母達は
「教育委員会のテコいれがいつ入るかなぁ」
と話している。うーん、どうしよう、と考えていたら、長女(小5)の方が先に、
「私は南中に行きたくない!受験する!」
と勉強をやりはじめた。3年の教科書からやりなおす、というレベルでありますが。
こんなことならもっと通学に便利なところに家を決めればよかったか?
動機は現状回避の不健全な理由であるのが気になるが、とにかく、あのぼーっとまんがばっかり呼んでる長女がやる気まんまんになったのだ。水をさすのはやめようと応援している。
もしかして次回のざわざわぼんじゅー、りえちゃんお受験物語となるか?
ではまた来年、お会いしましょう。おるぼわー